航空業界に貢献するプロを目指して、
力強く飛び立とう。
国際航空専門学校の初代名誉校長・徳川好敏は、日本初のパイロットです。本校では、航空に携わる先人の志を深くくみ、日本の航空の歴史とともに、創立以来一貫して航空界へ優れた人材を輩出してきました。
航空に携わるものの最大の責務は、安全(命)を守ることです。一方、航空需要の高まりの中で、団塊世代の大量退職時代を迎え、航空従事者の育成は、業界をあげての課題となっています。
国際航空専門学校では、すぐれたカリキュラムと実務経験の長いベテラン専任教官による徹底指導を行い、「国土交通大臣指定航空従事者養成施設 ※」の指定を40年以上前より受けるなど、航空界で確固たる信頼と実績を積んできました。今後も航空界を支える人材を育成するために、新しい機材の導入、少人数での徹底した実習体制など、ハード・ソフト両面から学びの環境を整え、充実したキャンパスライフを提供します。
また、JAL・ANAと連携し、航空整備科に大型機の国家資格を取得する「一等航空整備士取得準備コース」が開講中です。
「空の仕事」のスペシャリストとして皆さんが飛び立つために、私たちはできうる限りの応援を約束します。
※本校では、航空整備科一等航空整備士取得準備コース、航空整備科二等航空整備士(飛行機)養成コース、航空整備科二等航空整備士(ヘリコプター)養成コース及び、運航整備科二等航空運航整備士(飛行機)養成コースと合わせて4つの養成コースが国土交通大臣指定航空従事者養成施設となっております。
理事長ご挨拶

航空業界に未来を担う優れた人材を送り出す。
それが本学園の使命です。
学校法人浅野学園(国際航空専門学校)のある所沢市は、「航空発祥の地」とされています。これは、勅令により設置された臨時軍用気球研究会が明治43年(1910年)に飛行場として所沢を選んだ以来の歴史があるためです。
翌明治44年(1911年)4月1日に幅50メートル長さ400メートルの滑走路と格納庫、気象観測所を備えた日本初の陸軍所沢飛行場が開設され、4月5日には徳川大尉(本校初代名誉校長)がフランス製の複葉機アンリ・ファルマンでの初飛行に成功しました。
その後国産初の飛行機(会式1号)や飛行船(雄飛号)が製作され、フランス航空教育団を迎えて航空技術の教育訓練の場として陸軍航空学校ができ、その後は所沢陸軍航空整備学校となり、多くの少年航空兵らに航空技術と整備教育を施しました。
浅野忠行本校初代理事長は、陸軍航空学校や陸軍航空整備学校があった所沢に「国際航空学校」を昭和36年(1961年)に「航空従事者の養成」を目的として開校し、昭和56年(1981年)には埼玉県知事から学校法人浅野学園の設立認可を得ました。
本校は、運輸大臣(現在は国土交通大臣)指定航空従事者養成施設に指定され、出向者を含めて航空会社出身の経験豊富な教官を擁して、多数の「人間性豊かな航空従事者」を世に送り出してきました。
今後も建学の精神と半世紀を超える歴史を踏まえて、県の補助金を受け、税制上の恩典も受けている学校法人の立場をしっかり認識して学園の運営にあたり未来を担う優れた人材を送り出して行きたいと存じます。
また、文部科学大臣より「職業実践専門課程」の認定を受けており、さらなる教育品質の向上を目指し成長を続けている学校です。
航空業界は外から見るととても華やかに見えますが、すべての業務が人命に直結する重要かつ緊張感のある職場です。さらに、近年においてはLCCの参入も含め大変な競争状態にあります。しかし、皆さんの夢は希望する職種に就き、航空機の安全運航に貢献することではないでしょうか。
本校はそんな皆さんの夢をかなえられる学校です。
概要
教育理念
「豊かな人間性を備えた航空従事者の育成」を教育理念とし、私学として公共性と自主性を高め、航空従事者養成施設として社会の要請に応えるべく建学の精神を礎に、学生の将来を考え、その内在する可能性を引き出すことを目指しています。
教育目標
学校教育法の規定に基づく専門課程を置く専修学校として、航空機の整備等に関する専門技術を教授するとともに、社会人として必要な教養を与え優れた航空従事者を養成する。
学校名 | 国際航空専門学校 |
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創立 | 昭和36年4月1日 |
専修学校 | 昭和55年3月28日認可 |
学校法人 | 昭和56年3月25日認可 |
所在地 | 〒359-1131 埼玉県所沢市久米354 |
連絡先 | TEL:0120-593-132 FAX:04-2922-1971 |
設置者 | 学校法人浅野学園 |
理事長 校長 | 中井 眞一郎 |
設置学科 | 航空整備科 ・一等航空整備士取得準備コース ・飛行機コース ・ヘリコプターコース 運航整備科 エアロサポート科 ・グランドハンドリングコース ・ビジネスコース |
教員数 | 37名 (常勤 35人、非常勤 2名)*2021年10月1日現在 |
専門課程 在籍学生数 | 257名 (男子 216人、女子 41名)*2021年5月1日現在 |
施設 | 校舎面積:5,533平方メートル |
敷地面積:4,910平方メートル | |
建物構造:鉄筋コンクリート3階建実習施設 | |
主な実習設備 | 小型飛行機(9機) |
発動機(34機) | |
テストスタンド | |
MTS(1台) | |
ヘリコプター(4機) | |
プロペラ(17台) | |
コックピット(1台) | |
進路状況 *2021年3月卒 | 卒業生数 126名、就職者数 125名、就職未内定者 0名、進学者 1名 |
求人事業所 129社、求人総数 516名 | |
主な就職先 | JALエンジニアリング、ANAベースメンテナンステクニクス、ANAラインメンテナンステクニクス、 |
ソラシドエア、AIRDO、ジェットスタージャパン、海上保安庁、三菱重工業、IHI、SUBARU、 | |
朝日航洋、中日本航空、東邦航空、ANAエアポートサービス、JALグランドサービス 等 | |
課外活動の種類 | 体育祭、航空工場見学、校外企業研修他 |
利用できる奨学金 | 日本学生支援機構、新聞奨学金他 |
所沢と航空史・沿革


ライト兄弟の初飛行に刺激を受け、1910年(明治43年)に日野熊蔵と、国際航空専門学校の初代名誉校長である徳川好敏が東京の代々木練兵場で日本初のフライトに成功する。この翌年4月には所沢に臨時軍用気球研究会所沢試験場が開設された。幅50メートル、長さ400メートルの滑走路と格納庫、気象観測所を備えた日本で最初の飛行場である。ここで徳川の操縦するアンリ・ファルマン機が高度10メートル、飛行距離800メートル、飛行時間1分20秒を記録し、これが日本で最初の飛行場での飛行となった。以後、1945年(昭和20年)まで飛行教育、航空機の研究や試作機のテスト等が行われる。現在では、航空記念公園として整備され、航空発祥記念館とともに、市民の憩いの場となっている。
1961年(昭和36年) | 埼玉県所沢市に『国際航空学校』を開校 |
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1962年(昭和37年) | 国際航空大学校に改称 |
1971年(昭和46年) | 操縦科を2年制に改制 |
1972年(昭和47年) | 整備科を2年制に改制 |
1976年(昭和51年) | 運輸大臣指定航空従事者養成施設となる |
1979年(昭和54年) | ヘリコプター整備科開設 |
1980年(昭和55年) | 埼玉県知事より専修学校工業専門課程の認可を受ける |
1981年(昭和56年) | 埼玉県知事より学校法人浅野学園設立の認可を受ける |
1991年(平成3年) | 航空電子整備科を増設 |
1999年(平成11年) | エアロサポート科新設(航空電子整備科改編) |
2000年(平成12年) | 航空法の改正による新学科へ改編
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2003年(平成15年) | 国土交通大臣指定航空従事者養成施設(二等航空運航整備士 飛行機)となる |
2004年(平成16年) | 国土交通大臣指定航空従事者養成施設(二等航空整備士 飛行機、二等航空運航整備士 ヘリコプター)となる 卒業生が4,000人を超える |
2006年(平成18年) | 国土交通大臣指定航空従事者養成施設認可30年を迎える |
2007年(平成19年) | 航空整備科(ヘリコプター)新設(運航整備科(ヘリコプター)改編) |
2010年(平成22年) | 国土交通大臣指定航空従事者養成施設(二等航空整備士 ヘリコプター)となる 航空整備科 一等航空運航整備士(飛行機)養成コース開設 |
2011年(平成23年) | 開校50周年を迎える 卒業生が5,000人超える |
2013年(平成25年) | 国土交通大臣指定 航空従事者養成施設(一等航空運航整備士ボーイング767)となる。 |
2016年(平成28年) | 航空整備科、エアロサポート科が文部科学大臣より「職業実践専門課程※」に認定される |
2019年(平成31年) | 運航整備科が文部科学大臣より「職業実践専門課程※」に認定される。 |
2021年(令和3年) | エアロサポート科 ビジネスコース開設 |
※職業実践専門過程とは
文部科学大臣が認定して推奨することにより、専修学校専門過程における職業教育の水準の維持向上を図り「職業に必要な実践的かつ専門的な能力を育成する」ことを目的としています。